ここは、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァ。
この街の顔でもあるのが、上記のブラチスラヴァ城。
四角い建物の四つ角に塔があり、「ひっくり返したテーブル」との異名を持つ城だ。
まっ、ブラチスラヴァ城の詳細はガイドブックにお任せすることにし、ロビンはブラチスラヴァの旧市街に点在する不思議なものを紹介したいと思う。
ここは、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァ。
この街の顔でもあるのが、上記のブラチスラヴァ城。
四角い建物の四つ角に塔があり、「ひっくり返したテーブル」との異名を持つ城だ。
まっ、ブラチスラヴァ城の詳細はガイドブックにお任せすることにし、ロビンはブラチスラヴァの旧市街に点在する不思議なものを紹介したいと思う。
まずはこの写真。
カフェ「Paparazzi」で談笑しているグループ。
(。´・ω・)ん?
彼らの後ろに誰かいるぞ!?
ちょっと、彼に声をかけてみよう。
「君、君、君は何をやってるの?君は探偵?それともただの盗撮魔?」
「・・・・・。」
(どんなシャッターチャンスを狙ってるんだ?)
(どうやら、あのウェィターさんを狙ってるらしいな・・・。)
「彼の奥さんにでも、浮気調査を頼まれたのかい?」
「・・・・・。」
「依頼者の秘密はしゃべれないってか!」
これは、カフェの名前「Paparazzi」そのまま、パパラッチのオブジェなのだ。
【場所】フラヴネー広場にある日本大使館の脇の道をドナウ川方面(南)へ5~60m。
パパラッチのカフェがある道を西(カフェに向かって左)へ進んでいくと・・・。
(。´・ω・)ん?
「あれっ?おじさん!こんなとこで何やってるの?」
「・・・・・。」
「マンホールに落ちちゃったの?怪我はな~い?」
「・・・・・。」
彼は、「マンホールの男」。
隣に立っているのは、世界に一つしかない(当たり前か)、「マンホールの男」に注意の標識だ。
過去に2回(?)車に轢かれちゃったとかで作られたらしい。
さらにその隣には、偽マンホールの男。
まっ、タマちゃんアイスクリームとか、鳩山サブレとか春一番とかと同じ類ですね。
「マンホールの男」を左手に見ながらそのまま歩いていくと・・・。
カフェにはこんなオブジェや、
マンホールの男の角を曲がってフラヴネー広場に戻る道にはこんなオブジェもあります。
なぜブラチスラヴァの街には、こんなにも不思議な、無駄な、意味の無いオブジェが多数あるのだろうか・・・。
見所が少ないブラチスラヴァだが、こうやってオブジェを探しながら観光すれば楽しい街だ♪
新しいオブジェを見つけたら、このページを更新しますね。
旧市街の中心にある、フラブネー広場の周りにも面白いのがいろいろあるぞ。
まずは、広場に立つ像の話。
つまり、↓彼のことだ!
彼はブラチスラヴァで初めて戴冠式を行った「マキシミリアン」の像と言われているが、ブラチスラヴァの人々は、中世都市の守護騎士「ローランド」と思っている人も多い。
「マキシミリアン説」と「ローランド説」の対立の波紋は、こんなところにまで及んでいる。
彼の後ろに並んでいるカフェを見て欲しい。
写真が小さくて見づらいが、向かって左のカフェの名前は「CAFE ROLAND」、右が「CAFE MAXIMILIAN」なのだ。
客の入りも五分五分だ。
ちなみに、この「ローランド」の像には、不思議な都市伝説がある。
その都市伝説とは・・・、
年に一度大晦日に、ローランドの像は回れ右をして、彼の右後方に建っている建物にお辞儀をするというもの。
彼の右後方の建物内で、15世紀頃は議会が開かれていたらしい。
その議会によってブラチスラヴァの街が守られた(?)とかで、彼は律儀にも年に一度のお辞儀を欠かさないとか。
また、この広場のベンチにナポレオンの像があるのは有名ですね。
(「あれはナポレオンではない!」というブラチスラヴァ市民も多いが・・・。)
次に面白いのが、旧市庁舎の鐘楼。
14世紀から、何度も修復・改築されたらしい。
何が面白いのか?って?
では、鐘楼(黄色い壁)の窓に注目してください。
窓の左側に、黒い丸い点があるのが分かるだろうか。
これは、ナポレオンが侵攻してきた時の
「大砲の弾」だそうだ!
え~!!
この鼻くそみたいのが!?
さて次は、聖マルティン教会。
14世紀から200年かけて建造された、スロバキアの文化遺産。
塔の高さは85m。
尖塔には、1m80cm、300kgのハンガリーの王冠がのっている。
なぜハンガリーの王冠がのっているのか?
それは、ブラチスラヴァの歴史を勉強してくれ。
簡単に言うと、ブラチスラヴァは長い間ハンガリー王国の一部だったのだ。
しかし、16世紀にオスマントルコがハンガリー王国へ侵攻し、当時のハンガリー王国は3分割されてしまう。
これによってハンガリー王国の領土は、ほぼ現在のスロヴァキアと同じになり、ここブラチスラヴァに首都が移されたのだ。
こうして、1563年~1830年までの間、ここ聖マルティン教会にて11人のハンガリー王、7人の女王の戴冠式が行われたのです。
マリアテレジアも、ここでハンガリー王の戴冠式をしたというのは有名な話。
聖マルティン教会の説明はガイドブックにまかせるとして、皆さんは聖マルティン教会周辺の道に目を移そう。
「王冠のマーク」を見つけられただろうか?
これは、ハンガリー王(女王)が戴冠式を行うときに通る道のマーク。
このマークは点々と続いている。
このマークをずーっと追いかけて歩いてみるのも楽しい。
聖マルティン教会の北側から王冠のマークを追ってくると、この古い建物を右折することになる。
ついでだから説明しておくが、これは社会主義時代の建物だ。
お金がなくて、このまま放置しているとか。
王冠のマークは、この先の角を左折し、
ミハエル門から外へと続いている。
ちなみに、この道に出たら、ちょうど私が写真を撮ってる辺りにオーストリア大使館がある。
このオーストリア大使館の壁にプレートがかかっている。
何が書いてあるのか?
説明するのが面倒くさいので、直接行って確かめてください(笑)。
ある天才音楽家が、幼少時代にここで演奏したそうだ。
オーストリアの天才音楽家といえば、彼しかいないでしょ。